
これから私たち夫婦が新宿区から鎌倉に移住したいきさつを書きます。
「どんな人間がなんで引っ越しを考えてここに来たのか?」を書き始めたら、とても長くなってしまいそうになったのでサクサクと。
のつもりが、やはり長くなってしまいました。
他人の引っ越しの理由なんて誰も興味を持たないとは思いますが、もしかしたら参考になることがあるかもしれないですし、実は「もっと多くの人に大船の魅力に気付いて欲しい!」というのが本稿のテーマだったりします。
鎌倉への移住をお考えで、大船近辺の物件も検討されている方々の参考になれば幸いです。

25年前に上京
私の引っ越しスゴロクの振り出しは1995年の暮れ、転職を機に単身で大阪から世田谷区に上陸したところから始まります。
それから結婚と転職、起業などを理由に、上京から10年間で自宅と事務所を合わせて10回も引っ越しを経験することになりました。
杉並区から港区の間にある地域や物件に関しては、割と多くの居住経験をしていると思います。
そんな引っ越し魔のような私でしたが、2004年に自宅として新宿区の小さなマンションを中古で購入してからは、17年間も同じ家に落ち着くことになりました。
実はこのマンション、単身で住むのがちょうど良い広さだったので、買ってすぐに賃貸に回そうと考えていたのです。駅からも近く、オフィス街へのアクセスも良かったので。
我々は「都心から少し離れた土地でちょっとした田舎暮らしをしたいな」と考えながら。
まぁアレですわ、当時大ブームを巻き起こしていた『金持ち父さん貧乏父さん』に感化されすぎていたんでしょうねぇ。
でも「東京以外の場所に住みたい」ということは本気で考えていました。できれば2軒目、3軒目と場所を増やしながら、自然豊かな場所での生活を楽しみたいと。
そんなわけで「2軒目の家」の候補地を探して、5年間ぐらいは三浦半島と房総半島のほとんどの土地を見て回りましたが、「買う」という視点では次のステップへと踏み出す気持ちになれず。
共働きで多忙な毎日を送っていたので、繁華街から離れて近所に外食の選択肢が少なくなると困るし、三浦半島は便利で環境も気に入っていたけどいかんせん価格が高すぎるしで。
また当時は「リモートワーク」という概念もクライアントには理解されておらず(我々は海外や地方在住のクリエイターとのコミュニケーション手段として取り入れていましたが)、「ちょっと話をしたいんだけど来てくれる?」てな感じで気軽に先方のオフィスに呼ばれることも多かったんですよね。だからなかなか都心から離れることができませんでした。
そうこうしている間に、日本列島にゲリラ豪雨(土砂崩れ)や地震などの災害が増えていったことも物件を「買う(所有する)」ことを躊躇させる要因となり、徐々に郊外暮らしの熱は冷め、いつしか強固なインフラに支えられた都心暮らしに満足していたのでした。



コロナがやって来た
新宿区の家は約40㎡の小さな空間でしたが、平日は仕事でほとんど家にいないし、夫婦揃って旅好きのため週末も出掛けてばかりいたので、家の狭さが苦になることはありませんでした。
新宿区は羽田にも成田にもアクセスが良いし、電車でも車でもすぐ近くの駅(インターチェンジ)から全方位に遠出をすることもできる。遠出をしなくても徒歩圏内だけでも数多くのエンタメ施設や「美味い飲食店」に恵まれていたので、「生活に飽きる」ことなんてなかったんですよね。
そこへ皆さんご存じの新型コロナウイルスがやって来ました。
旅どころか、県外にすら出られない。
ライブやスポーツなどのイベントも中止になるし、飲食店も夜には閉まってしまう。
できることは、ぶらぶらと都内を散歩するだけです。
歩いていても退屈なので、坂道や橋のそばに立っている歴史や由来を示す看板をしっかりと読むようになり、「紀尾井町って紀州藩徳川家、尾張藩徳川家、彦根藩井伊家の屋敷があったことが由来なんだな」と、やたらと坂や町の名前と地形に詳しくなりました。
歴史がある土地は散歩するだけでも楽しいんですね。



仕事でも随分とコロナの影響を受けました。
もちろん悪い影響です。
私の会社は長らく商業施設の広告を手掛けていたのですが、営業自粛でセールやキャンペーンが軒並み中止となり、そのあおりを受けて売上が激減。
少し遅れてオープンキャンパスなどのイベントをオンライン化に切り替えた学校法人の依頼が増えたお陰で忙しくなってきましたが、コロナ前の売上に戻すにはまだ時間が掛かりそうです。
目黒区に構えていた事務所も、スタッフがリモートワークに移行したことで自宅近くに移転しました。
「職住接近って便利だな」と思ったのは最初の頃だけで、だんだんと「なんで家の近くにまた別の部屋を借りているんだろう? キッチンやトイレなどの設備が重複してもったいない」という発想に切り替わっていきます。
だったらスタッフと同様に自分も自宅で仕事をしたら良いじゃないか。
と思ったものの、夫婦二人が自宅で作業をするには40㎡は狭すぎました。
動画制作を生業とする私は、カメラやレンズ、照明などの保管場所も必要ですし、編集用のPCがトリプルモニター構成なので作業机もかなり大きくなってしまいます。



50歳になって考えた
精神的には30代のつもりの私でしたが、コロナ2年目の夏に物質的に50歳になりました。ちょっと無理をすると、数日間、いや一週間以上もカラダに影響が出てくる年齢です。
ある日の事務所からの帰り道に、ふと「自分は元々いろんな土地に住みたかった」ことを思い出しました。
次に
「生活を楽しめる状態=足腰が元気なうちに、あと何カ所ぐらい住めるんだろう?」
という不安と疑問が同時に湧き起こります。
70歳まで元気だと仮定すると
「5年ごとに引っ越したとしても、あと4カ所しか新しい土地に住めない!」
という簡単な算数の結果にたどり着きました。
65歳で見知らぬ土地に引っ越す気力&体力が残っているかどうかも疑わしいのですが。
そこで急に
「自分の人生に残された時間が(思っていたほど)多くはない」
ことに気付いて焦りはじめたのです。
妻は私より2歳年上ですしね。



移住のシミュレーション
焦りを抑えつつ、実際に移住が可能かどうかの検討を始めました。
幸いなことに、会社の業務は私もスタッフも完全リモートでも遂行できるメドが立ちつつありました。その一番の要因は、クライアントがリモート業務を受け入れてくれたことですが。
つまり、自分が物理的にオフィスにいなくても会社は回る。
でも私の撮影業務は物理的に稼働する必要があり、都内や多摩地域に案件を抱えていることから、クルマで都心へのアクセスが良い場所でないと困る。
生活はどうだろう?
クルマを持っているので、近くにスーパーがあれば多少は駅から離れていてもなんとかなるだろう。
夫婦揃って現居住地に離れがたい人間関係を築いてもいない。(行きつけの飲食店はたくさんあったので淋しいけれど)
つまり、移住しても仕事と生活はなんとかなる。
そう、お金さえあればね。
ここが一番の問題でした。
しかし今までは「家の所有」にこだわっていたけれど、数年ごとに移住を繰り返すなら「賃貸」の方が都合が良い。いや、有り余る現金を持っていないなら賃貸しか選択肢はない。
所有物件を賃貸に回すにしても、リフォーム代もかかるし、空室の間は収入が途絶えるし、それでも固定資産税も毎年発生する上に、修繕積立金は上昇し続けるだろう。自分たちが住んでいない間に管理が荒れたり、災害に見舞われると資産価値そのものを失うリスクも負う。
それまでの私たちは家を売るつもりなんてなかったのですが、調べてみると都内の中古マンション市場は驚くほど高騰していました。
収入はというとコロナのあおりを受けて売上は減っているし銀行への借り入れも増えていて、さらにこれからもどんな災厄に見舞われるかもしれないので、手元のキャッシュは厚めに置いておきたい。思い返せば、2004年に起業してから5年以内ごとに重大な災害や経済危機に見舞われてきたし。
幸いなことに自宅のローンの返済を終えていたので、自宅を売った資金は温存しておける。
もちろん「実際に家が売れたら」の話ではありますが、この局面になって初めて今まで住宅にコストを掛けず小さな家に住み続けてきた自分たちを褒めてあげたくなりました。
この資金計画が、自宅を売却して賃貸生活に移行する判断を強く後押ししました。
「移住しても良い」が「移住した方が良い」へと変わったのです。



土地と物件探し
当初は移住先として頻繁に日帰り旅行に出掛けて気に入っていた、甲府(ワイナリーが多い)や奥多摩なども検討はしたものの、最終的には三浦半島の西側、葉山から茅ヶ崎の間にターゲットを絞りました。
10数年前にはじめた「第2の家探し」から三浦半島は頻繁に訪れており、海と山を感じながら暮らせる環境ながら都心へのアクセスが良く、個性的な飲食店も豊富で、特に鎌倉は寺社仏閣が豊富で歴史を感じられることを気に入っていたからです。
カメラやレンズを買うたびにロマンスカーで江ノ島へ試写に行っていたため、江ノ島だけでも年に4〜5回は訪れていましたからね。(本稿の写真の大部分もその時のものです)
妻は間取りへのこだわりが強い上に、便利な近代型住宅を「面白くない」と感じるタチなのですが、幸運なことに築50年の「面白い」物件がすぐに見つかりました。
新宿区の我が家と比較すると、賃料(同面積の平均的な賃貸相場+駐車場代)はほぼ同じなのに居住面積が3倍以上で、さらに庭と大きなガレージ(with 屋根)まで付いてくる。
早速不動産会社に連絡をしたら「まだ空いている」というので、すぐに内見へ。
その物件の最寄り駅が大船駅だったのです。



大船駅前に一目惚れ
内見の日に大船駅に到着。
今まで湘南新宿ライナーに乗り、巨大な観音様を横目で見ながら数え切れないほど通過してきたのですが、実は大船駅で降りるのはこの日が初めてでした。
内見まで時間があるので昼飯を食べようと商店街をブラブラと歩いていたら、目に飛び込んできたのは活気のある鮮魚店。
「魚が美味しそう!」
これが大船の印象として鮮烈に飛び込んできた飛び込んできたイメージでした。
新宿区の我が家の近所にはスーパーこそあれ、鮮魚店も青果店もありません。
そして残念ながらスーパーで売られている刺身は元気がなくて、わざわざ食べたいと思うようなものではありませんでした。
大船で見つけた鮮魚店の中をじっくりとを眺めていると、種類が豊富でしかも安い!
2階には行列のできる回転寿司店もある!!
この鮮魚店には引っ越してからも利用していますが、いつも客でごった返していて活気があり、魚はどれも美味しいんです。
さらに「大船市場」というこれまた客で溢れかえっている青果店を覗いたら、びっくりするような激安価格で果物と野菜が盛られています。
ここに限らず商店街を歩いていると目にするのが「湘南野菜」や「鎌倉野菜」の文字。三浦半島って海と山に囲まれていて、それぞれ特色のある食材が採れるんですよね。
新鮮な野菜や魚介類を市場で買って、広いキッチンで調理をして食べることを想像しただけですっかり心が躍りはじめました。
新宿の家は狭すぎて二人で調理や片付けをするスペースがなかったので、その反動もあったのかもしれません。
引っ越し後も大船市場で大量に野菜を買い込み、地元の肉屋さんや鮮魚店でもガッツリと買いこんでは、素材の力で美味しいご飯をいただいています。




さらに決め手となったのが、何も調べずにフラッと入った2つの飲食店が美味しかったこと。
まず提供される料理の食材が良いのにリーズナブル。
接客もお姉さん(私よりもね)達が元気でフレンドリーだけど下品じゃない。
味付けがさっぱりとしていながら、しっかりと旨味がある。
無闇に騒ぐ客がいなくて居心地が良い。
「飲食店の雰囲気や質は客が作るものだ」と考える私たちは、大船に「気取らないけどモノがわかっている大人のための街だな」という印象を受けました。
引っ越し後にも大船駅前の飲食店に何店舗か訪れましたが、どこの飲食店でも同じように感じています。
その理由は定かではありませんが、「大船駅前に松竹の撮影所があった時代に、食や文化にうるさい映画業界人に鍛えられたのではないかな」と想像しています。
内見と採寸のそれぞれの日に、大船駅前には1時間ほど滞在しただけですが、私たちはすっかり大船が気に入ってしまいました。
「ここで自分たちが楽しく生活している様子を想像できる」と。
残念だったのは内見の日に訪れて気に入った食堂『かんのん食堂』が、引っ越してすぐに火災に見舞われて焼失したことです。
幸い人的被害はなく、SNSでは再建を予定しているとのこと。
再オープン後にはぜひお邪魔して、たっぷりと食べて応援したいですね。



大船の魅力的なお店の数々については、これから少しずつ投稿していきたいと思います。
ところで大船駅は鉄道のアクセスも素晴らしく良いんです。
JRは湘南新宿ラインと上野東京ラインが乗り入れていて、上りは新宿方面にも東京駅方面にも一本で大船始発の列車もある。下りは逗子にも熱海にも一本です。特急踊り子号も停車しますよ。
モノレールに乗れば江ノ島にも14分で、東京湾側に延びる根岸線も利用可能。
高速のインターチェンジがちょっと遠いけど、所要時間はそれほど掛かりません。
鎌倉といえば海側を想像していたけど、正直言うと海側に住むとスーパーや日用品を買える場所が少なくて生活が大変そうだな・・・と感じていました。
もちろん海側には、そんな利便性を軽く撃破するほど魅力的なオーシャンビューがあるので、いまだに羨ましく感じてはいますけどね。



ちなみに我が家は大船駅と北鎌倉駅の間にあり、自転車を15分ほど漕げば海に出られるし、意外とワイルドなハイキングコースも近くにいくつかあります。
こうした魅力的なスポットの数々はまた別の投稿で。
そんなわけで私たちは、大船の利便性と魅力的なお店たち、そして海と山の自然にほだされて、鎌倉市の中でも大船駅を利用する地域に引っ越すことに決めました。
本記事を制作するために使った機材
写真:EOS 6D, α7II, SIGMA fp, GR, GR III, GR IIIx, RX100M6 (通常のAC電源より充電)
現像・執筆:MacBook Pro(M1 Pro) 14″ (鎌倉の太陽光100%で充電)